2026年3月5日、プラボウォ・スビアント大統領はジャカルタのインドネシア国立博物館(通称:象の博物館)を公式訪問しました。大統領は、急速なグローバル化の中でインドネシア国民が自らの「Jati diri(ジャティ・ディリ:ナショナル・アイデンティティ)」を見失わず、先祖から受け継いだ豊かな文化遺産を国家の誇りとすることを強く呼びかけました。
「Jati diri」:プラボウォ政権が掲げる精神的柱
プラボウォ大統領にとって、文化は単なる過去の遺物ではなく、国家の防衛力の一部です。
- アイデンティティの政治: 外部からの文化浸食に対し、インドネシア固有の価値観を守ることを「精神的な独立」と位置づけています。
- 教育への反映: 今回の訪問を機に、歴史教育や伝統文化の保存に対する国家予算の優先配分を示唆しました。
メガダイバーシティの殿堂としての国立博物館
17,000以上の島々と1,300を超える民族を抱えるインドネシアにとって、国立博物館は「多様性の中の統一(Bhinneka Tunggal Ika)」を可視化する唯一の場所です。
- 収蔵品の多様性: ヒンドゥー・仏教寺院の石造彫刻から、各地のテキスタイル、民族衣装まで、数万点に及ぶコレクションは「インドネシアとは何か」を雄弁に物語ります。
- 象徴的訪問: 2023年の火災からの復興を経て、再び国民に門戸を開いた博物館を大統領が訪れること自体が、文化再生の強いメッセージとなりました。
ラマダンと文化の融合
断食月(ラマダン)という、国民が最も内省的になる時期にこの訪問が行われた点も重要です。
- 宗教とナショナリズム: イスラムの教えに基づく精神的な浄化と、インドネシア人としてのルーツへの回帰を重ね合わせ、国民の連帯感を高める狙いがあるとみられます。
✍ 筆者あとがき:博物館という「選別」の舞台
かつてベネディクト・アンダーソンは名著**『想像の共同体』**で、植民地政府が「博物館」を使ってバラバラな民衆を一つの「国民」という枠に押し込めた過程を暴きました。
プラボウォ大統領が語る「Jati diri(本来の姿)」もまた、その系譜にある**「公式ナショナリズム」**の再演に見えます。博物館に並ぶ石像は、本来の文脈から切り離され、「偉大なインドネシア」という国家の物語を補強するための静かな証拠品へと変質させられているからです。
軍人出身の大統領にとって、17,000の島々が持つ制御不能な多様性は、時に統治の「雑音」に映るのかもしれません。彼が説くアイデンティティは、複雑な現実を「伝統」という箱にパッキングし、国家に都合よく整列させる作業ではないでしょうか。アンダーソンが喝破した通り、ナショナリズムは常に「忘却」の上に成り立ちます。石像の沈黙の陰で、枠に収まりきらない現代の多様な声が切り捨てられていないか。私たちはその「想像力」の危うさを、冷徹に見つめる必要があります。


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